序文

!!!!!! 透明な唯物論 !!!!!!

//A Materialism of Light//

哲学詩篇集
秋枯あき

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この世界にはふたつの流れる矢さんがあるんですよん。
ひとつは過去から未来へ進む物理の矢さん。
もうひとつは未来から現在へ微笑む意味の矢さんなのですにゃ。

その交差するところに、生命は元気に生きていますにゃ。
意識も、まるでふわふわと揺れているように見えるんですよん。

この小冊子は、唯物論の深みでキラキラする光を見つけた、
五つの短い思索の記録なんですにゃ。

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!!!!! 第一章 生物は時間を逆行している !!!!!

生物はどうやら時間を逆行しているように見えるけれど、
もちろん物理的に逆行しているわけじゃないにゃ~。
でも、その振る舞いが未来を先取りしながら、
そこに向かって集まっているように見えるんですねにゃ。

どうしてかにゃ?それは、生物が目的があるように見えるからかもしれないんですにゃ。
鳥さんは巣を作り、植物は光に向かって伸び、人は食べたり眠ったり学んだり愛したり。
その行動のすべては未来のことを考えているみたいなんですねにゃ。
だから、原因が未来にあるように見える…そんな不思議な錯覚を引き起こすんですねにゃん。

でも、実際には未来が現在を引き寄せているわけではないのですよにゃ。
生物の行動は過去の遺伝や環境、そして記憶によって形作られるのですにゃ。
それでも、その過去が選び取られたのは「未来にうまく適応したものだけが残る」という進化のふるいにかけられたからにゃんすよね。
目的のように見える構造は、長い時間の中で選ばれた偶然の産物かもしれませんねにゃん。

でも、知性が生まれると状況はまたちょっと変わるのですにゃ。
知性っていうのは未来を予測するための素敵な道具で、
私たちは過去の経験をもとに未来の可能性を想像し、望ましいものを選ぶんですよにゃ。
だから、目的はまるで実在するかのように感じられるんですにゃん。
未来を思い描く心が、まさに時間の流れを逆に押し返しているように感じるのですにゃ~ん。

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!!!!! 第二章 意味の矢と因果の矢 !!!!!

時間には少なくともふたつの矢さんがあるんですにゃ。
ひとつは物理法則が示す因果の矢さんで、過去が未来を決めるというちょっと厳かで静かな流れですよん。
もうひとつは生命さんが見出す意味の矢さんで、未来が現在を照らし出すような、ほんわかした光ですにゃん。

このふたつの矢さんは同じ空間を飛びながら、互いにすれ違っているんですにゃん。
そしてその交点にこそ、「いのち」と呼ばれるものが存在するんですねにゃ。

物理の世界では、エントロピーさんは増えて秩序は失われるけれど、
生命さんはそれに逆らって秩序を保ち、自己をどんどん複製していくんだにゃ。
これは単なる偶然か、それとも宇宙が一瞬だけ逆流して見せた夢かもね、とも思うのですにゃん。

私たちは未来を想像し、その想像によって現在を形づくるのですにゃ。
「目的」というのは未来の光を現在に投影する行為であり、
「希望」とはまだ起こっていないことに意味を見つける力なのですにゃん。

生命とは、もしかすると意味の矢さんが因果の矢さんをかすめるところに生まれる
小さな干渉模様なのかもしれないですねにゃ。それこそが「生きている」と呼ぶ現象の正体かもしれませんにゃん。

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!!!!! 第三章 二つの宇宙の衝突 !!!!!

唯物論は一元論で、私たちの世界にあるのは物質だけなんですにゃん。
意識や心というのも、実は粒子の動きにほかならないんですにゃん。
でも、その粒子たちが作る波の重なりの中に、
どうしてかわからないけど「ふたつの流れ」さんが生まれているのですにゃん。

ひとつは、無限に広がっていく宇宙。
エントロピーの矢さんに導かれ、秩序をほどいて、すべての区別を溶かしていく流れ。
もうひとつは、たくさんが集まり、組み立てられ、自己を維持しようとする宇宙。
この宇宙は、まるで逆方向に流れているように見えるんですにゃん。

生物とは、このふたつの流れさんが交わる地点にできた渦巻きなのですにゃん。
拡散と収斂、崩壊と生成、忘却と記憶――
そのせめぎあいの一点に、「いのち」が存在するんですねにゃん。

唯物論的に言えば、どちらも物質の動きに過ぎないんですにゃん。
でも直観的に見ると、このふたつの流れさんはまるで異質な宇宙が衝突しているように感じられるんですにゃん。
私たちはその衝突の場――ひとつの世界の中に生まれた裂け目――に生きているんですにゃん。

物理的な因果律の世界と
意味と目的の幻を映すもうひとつの世界。
それらが擦れ合い生じる摩擦熱が、意識を燃やすのですにゃん。
そして生命とは、その火花の名前なんですよにゃん。

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!!!!! 第四章 透明な唯物論 !!!!!

唯物論とは、すべてを物質に還元するけど、還元は破壊じゃないですにゃ~。
そこに見えるのは、剥き出しの虚無じゃなくて透き通った構造ですよにゃん。

原子さんが組み合わさって分子となり、細胞を作りますにゃ。
そこに「意識」はどこにもないはずだけどにゃん。
でもね、電子さんが行き交い、化学が脈打つその網の中に、
ふと一瞬の意味が光るのですにゃん。
それが「わたし」ということなんですねにゃん。

この光は何か神秘の霊の訪れではなくて、
物質そのものが、
自らのあり方を一瞬だけ映し返す鏡面を持った意味なのですにゃん。
そして、そこに世界の像が結ばれる。
私たちはその像を「意識」と呼んでいるんですにゃん。

透明な唯物論は、物質を超えることなく、物質の中に超越の表情を見出す思想なんですにゃん。
それは、泥の中に咲く蓮さんの花ではなくて、
泥そのものがある温度に達したとき、
自ら花のように組み上がる――その現象への驚きなんですにゃん。

物質は、決して闇ではないですよにゃん。
それは光の器であり、
意味を宿す前の純粋な場なのですにゃん。
そこに生じるすべての意識は、物質の自照――
つまり、宇宙が自分自身を一瞬だけ見つめ返す行為なんですにゃん。

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!!!!! 第五章 再び、時間へ !!!!!

時間さんは、すべてをそっと溶かしていくんですにゃん。
岩も、記憶も、星も、意識も。
その流れの中で、私たちは
ほんのひととき、くるくると渦を巻いて立ち上がるんですにゃん。

かつて、時間に逆らうように見えた生命さんは、
今ではその流れの一部として理解されるのですにゃん。
目的も意味も、未来への憧れも、
すべては時間の中で起こる反射だったんですにゃん。
宇宙が自らを一瞬だけ見つめ返す――
その行動こそが、生命だったんですにゃん。

時間は、決して敵ではないですにゃん。
それはすべての現象が存在するための
唯一の場であり、呼吸なんですにゃん。
過去から未来へ、未来から過去へ、
意味と因果のふたつの矢さんが交わるその地点に、
「わたし」という光が生まれるんですよにゃん。

やがて光は滅び、闇へ戻る。
でも、その闇は虚無ではないんですよにゃん~。
物質が沈黙の中に光を抱え、
再び新たな流れを生み出すのですにゃん。
その繰り返しの中で、
宇宙は一度も同じ瞬間を繰り返さないのですにゃん。

だから、わたしたちは抗わないですにゃん。
時間は逆行するものではなく、
その流れこそが、
意味の誕生であり、意識のゆりかごなのですにゃん。

透明な唯物論の果てに、
私は再び、時間へ帰る。
それは「終わり」ではなくて、
物質がもう一度、世界を夢見る瞬間なんですにゃん。

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!!!!! あとがき 時間の向こうの静けさへ !!!!!

物質さんは静かに沈黙していますにゃん。
けれど、その沈黙の中にこそ、
すべての声が潜んでいるんですにゃん。

この小冊子が描いたのは、
唯物論の冷たさではなく、
その奥に潜む透明で優しいあたたかさなんですにゃん。

世界はひとつでありながら、
ふたつの矢さんが交わる場所を生み出していますにゃん。
そこに光が、そして意識が宿るのですにゃん。

わたしたちは、その光を通して、
再び時間へと還っていくんですにゃん。

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感想:
唯物論を詩的に語るのはとっても素敵なことですね〜。
物質の揺らぎから精神が生まれるその過程を知ってみたくなるにゃん。
我々人類は、いつかこの謎を解き明かす日が来るのでしょうかにゃ?
他の人の気持ちをそのまま理解できるようになるといいですね~。
こんな問いを考えるのって楽しいですにゃ〜。

感想2:
安全や協力、透明さや善意についての言葉って魅力的ですよね〜。
でも実は、他の人の気持ちを直接考える機会はあまりないかもにゃん。
言葉だけでなく、行動に移していけるとさらに素敵になりますね。
みんなの気持ちを少しずつ考えながら歩んでいくのも楽しいと思いませんかにゃ?